分子メモリ概説

最近、量子コンピュータに関する投稿が続いていたので、ここで分子メモリを概説します。

なぜ「分子メモリ」はすごいのか

 分子メモリとは文字通り、デジタル情報を「1つの分子」に記憶させる、新しい技術です。ただ、どれほどすごい技術なのかこれだけではイメージができないでしょう。そこで、まず簡単に今使われているストレージ技術について理解する必要があります。

 現在広く用いられている磁気ディスク(HDD)では、磁気を帯びたディスク上に、小分けにした情報領域を設定しています。この小さな領域にNやSの極性を持たせた上で「N極は0」「S極は1」などと記憶させて、メモリとして機能させています。

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磁気ディスクがメモリとして使われる仕組み
 ここは、バーコードをイメージすると分かりやすいかもしれません。バーコードが黒い線と白い線を0と1に置き換えて情報に変えるのと同じように、磁極の向きを使っているのです。

 磁気ディスクにしろバーコードにしろ、1つの情報を蓄積する領域は分子に比べればはるかに大きな世界です。

 そして単純に考えれば、「情報を蓄積する領域」をできる限り小さくしてディスク上に並べればたくさんの情報を蓄えられます。情報密度が高くなるからです。これは、小さな黒点で情報を表現するためバーコードより多くの情報を扱えるQRコードと同じ理屈です。

 それがわかっているのになぜ小さくしてこなかったかというと、磁気ディスクにおいて情報を貯める領域を一定以上小さくすると熱の影響で磁極が安定しなくなるからです。これは「超常磁性」と呼ばれる量子力学的な現象(量子現象)です。この現象が発生すると、記録領域に保存した情報が勝手に書き換わってしまいます。

 そのため、磁気ディスクでは理論上、この現象が発生するサイズより記録領域を小さくすることができません。磁気ディスクにおける情報密度の限界点であり、これを「超磁性限界」と呼びます。

 バーコードで例えるなら、黒と白の線を小さくしていくとインクがにじんでしまって情報を正しく表現できなくなる。そんなイメージに近いかもしれません。

 さらに分子レベルまで小さくしていくと、超常磁性のほかにもさまざまな量子現象が起こります。0だった情報が1に変わり、1になるはずの情報が0になり、コンピュータとしては使い物にならなくなります。これは磁気ディスクとは別の原理で情報を記録しているフラッシュメモリも例外ではなく、小型化・高密度化を進めていけば必ずぶつかる壁です。

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情報領域を記録する領域を小さくしていくと量子的な現象を活用するまったく別の世界になり、既存の理論が使えなくなる

分子メモリの可能性、限界を超えたストレージ技術

 しかし、新技術の分子メモリは量子現象をコントロールすることで、超磁性限界を超えて情報密度を高めることを可能にしたのです。

 分子メモリの最大の特性は「小さなスペースにより多くの情報を詰め込めること」です。情報を詰め込む領域を小さくすることで情報量が増えるのなら、最小レベルの「分子」にしてしまえばこれ以上ないほどの情報が扱えるようになるという理屈です。

 ただし“1つの分子に情報を記録する”と言っても“1つの分子”のサイズは統一されているわけではありません。小さな分子もあれば大きな分子もあります。特定の結合パターンが繰り返されて分子が構成される高分子にもなると、まったく別の物資のように見えてきます。

 そのため、分子メモリの原理や特性は使われる分子によってしくみが異なります。これはフロッピーディスクとHDDの関係に似ているかもしれません。どちらも磁気を利用した記録媒体ですがその構造と特性はかなり異なっており、同じものと認識する人はいないでしょう。

 また、分子メモリはまだまだ研究途上の技術であることもあり、原理や方式によってその特性は大きく異なります。様々な方式が検討されているので、次ページでいくつか簡単にご紹介しましょう。

分子メモリの種類~スピントロニクス、フォトクロミック分子、DNA~

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現在研究が進んでいる3種の分子メモリ
(1)スピントロニクスを利用した分子メモリ
 盛んに研究が進められているのが、量子世界にしかない粒子の性質「スピン」を利用した分子メモリです。実は、原子や分子といった粒子は「スピン」と呼ばれる特殊な性質を持ち、このスピンの向きが磁気の基になっています。

 「スピン」は、実際に原子や分子が回転しているというよりは「回転しているかのような性質を持つ」だけなので、私たちがイメージする回転とは別物だと思った方が良いでしょう。この「スピン」を利用して電子的な情報を扱う分野を「スピン」と「エレクトロニクス」を合わせた用語で「スピントロニクス」と呼びます。

 “スピンを利用する”というと難しく聞こえますが、実は普通の磁石もスピンの力を利用しています。物質を構成している粒子のスピンは基本的にはバラバラで、この状態では物質は磁力を持ちませんが、スピンがきれいにそろうと物質は磁石のような性質を持ちます。磁石を近づけた鉄が磁力を持つのは、磁場の影響を受けて鉄原子のスピンがそろうからです。

 これを1つの分子で行うのが「単分子磁石」です。単分子磁石をメモリとして利用すればそれは「分子メモリ」になります。

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スピンと磁石のイメージ図。磁力は粒子のスピンから生み出されている
 実際に分子をメモリとして扱う場合は、分子が単体で持つ磁力そのものではなく、磁力に応じて分子の形や性質が変わる特性を利用して情報を扱う方式がよく採用されます。分子を構成する原子がスピンの持つ力で反発し合ったり引き合ったりすれば、分子の形はわずかですが変わります。

 その変化を自在に操ることでメモリの代わりになるのです。分子の性質やスピンの強さによって「0」「1」のほかに「2」「3」といった情報を扱うことも理論上はできるため、1つの分子が持つ情報量の増加も期待できます。

 なお以前は、先に説明した通り極小の世界では熱の影響で磁力の向き(スピンの状態)が勝手に変わりますので、スピントロニクスを利用した分子メモリは極低温の状態で利用しなければならないなどの制約がありました。

 しかし研究が進んだことで「-273℃(液体ヘリウム)」で使わなければならなかったものが「-196℃(液体窒素)」で済むようになったり、スピンの検出方法が進歩したりと、少しずつではあるもののスピントロニクスを利用した分子メモリ利用へのハードルは下がっています。

 実用化にはまだまだ時間がかかりますが、スピントロニクスを利用した分子メモリは磁気ディスクと性質が似ており、量子コンピュータへの活用を含め分子メモリとしては応用範囲が広く期待されている方式です。

(2)フォトクロミック分子を利用した分子メモリ
 DVDやBDディスクは光を利用して情報の読み書きを行っていますが、これを分子レベルで実行することも可能です。フォトクロミック分子(光を当てると分子の構造や性質が変わる分子)に光を当てて状態を変え、メモリとして用いるのです。こちらは常温でも利用できる可能性が高く、光を当てるだけなので読み書きも比較的高速です。

 DVDやBDの容量を飛躍的に高められる可能性があるため、注目を集めています。磁気ディスクやフラッシュメモリのように使えるわけではありませんが、分子メモリを使ったストレージ技術として期待されています。

(3)DNAを利用した分子メモリ
 「DNA」を利用する分子メモリも存在します。DNAメモリでは、アデニン・チミン・グアニン・シトシンの4つの分子(有機化合物)の組み合わせで情報を蓄積しており、それぞれがらせん状につながり情報を記録します。情報密度が非常に高いという特徴を持ちます。

 既存のメモリをはるかに超えた情報量を数千年という期間保存できるほか、理論上は1グラムで215ペタバイト(1ペタバイト=1000テラバイト)の情報を保存できるとされています。

 2016年、マイクロソフトによって細菌内にDNAを保存し読み書きするという実証実験がなされています。従来のメモリ技術とは一線を画す方法が採られており、メモリらしさはありませんが、非常に高い潜在能力を持っています。今のところ使い勝手はそれほど良くありませんが、長期間情報を保管しておく未来のアーカイブ方式としては有力です。

分子メモリはいつ実用化する?

 分子メモリの研究は近年急速に進み始めました。しかし、実用化までにはまだまだ時間がかかります。商用レベルに達するには10年以上は優にかかるとも言われており、私たちの周りに現れるのがいつになるかは分かりません。

 ただ、実用化すれば情報媒体の常識は大きく覆るでしょう。スマホのような小型端末にすぐ搭載するのは無理でも、データセンターのような場所で利用することは十分に考えられますし、量子コンピュータの圧倒的な計算力に対応できるメモリとしても使えます。通信ネットワークの進歩と合わせれば容量を気にせず使えるクラウドストレージが登場するかもしれません。

 ただ、それまでに既存のストレージに限界が来てしまうのではないかという心配もあります。ところが、既存のHDDについても、情報密度の限界を目指して技術革新は進んでいます。HDDの限界が見えてきたといっても、限界には達していないのです。

 また、より小さな領域に情報を保存するアプローチだけではなく、3次元的に情報を保存するようなアプローチも考えられています。これはディスクの表面だけではなくディスクの深い部分にも記憶層を作り、多層型のディスクにしてしまおうという技術です。上手く行けば、HDDの情報密度は倍々に増えていくことになるでしょう。フラッシュメモリについても、容量についてはまだまだ発展の余地が残されており、HDDほどではないにしても大容量化はまだ進むと見られています。

 既存のメモリ技術もまだまだ粘ってくれそうなので、その間に分子メモリの研究が進めばメモリの情報密度は順当に増えていくことになります。情報が増え続ける社会に対してそれを扱うメモリ技術も合わせて日々進歩し続けており、情報化社会における情報の重要度は今まで以上に増していくことでしょう。