量子コンピュータは破壊的イノベーション

IT業界で「量子コンピュータ」の実用化に向けた検証が進んでいる。量子コンピュータとは、量子力学の原理を利用して高度な演算処理を可能にするコンピュータだ。IBMの「IBM Q Experience」など、量子コンピュータの高度な演算能力を利用できるクラウドサービスも登場している。

 国内では、量子コンピュータ関連のアプリケーションを開発するスタートアップ(創業間もない企業)が相次いで登場している。2019年7月には、クラウドインテグレーターのテラスカイが、量子コンピュ―タ向けソフトウェアの開発やユーザー企業向け導入支援サービスを手掛ける会社Quemixを設立した。QuemixはIBM製の量子コンピュータ「IBM Q」の利用契約を締結しており、顧客は20量子ビットの実機を利用できるという。量子ビットは、量子コンピュータが扱う情報である「量子情報」(量子力学に基づいて状態が決定する情報)の最小単位だ。その他にもQunaSysやMDRなど、量子コンピュータ関連の幾つかの国内スタートアップが活動している。

量子コンピュータは「PCの進化系」ではない

 QuemixのCEOを務める竹澤聡志氏は、「量子コンピュータは単なるPCの進化系ではない」と話す。量子コンピュータは特定ジャンルの難易度が極めて高い問題を解くことに適したコンピュータだ。必ずしも従来型のコンピュータよりも高い処理能力を持ち、短い時間で計算を実行できるわけではない。単純な計算には従来型コンピュータの方が適している場合がある。

 従来型コンピュータと量子コンピュータを組み合わせて使うことで、それぞれのコンピュータが苦手とする処理内容を互いに補い合うことができる。量子コンピュータが適した用途には、

  • 分子・材料設計などの量子化学計算
  • 複数の選択肢の組み合わせで最適な結果を選ぶ組み合わせ最適化問題
  • 画像処理

などが挙げられる。医薬品開発、製造物設計、検索エンジン、ゲームなど、幅広い業界やサービスに応用できる可能性がある。

 量子コンピュータは「量子ゲート方式」と「イジングモデル方式」の2つに大別できる。量子ゲート方式は従来のコンピュータと同じ計算処理能力も持ち合わせており、幅広い用途に利用でき、IBMやMicrosoftなどが開発を進めている。イジングモデル方式は組み合わせ最適化問題に特化した方式で、D-Waveや富士通などが実用化に向けて検証を進めている。

 国立研究開発法人の科学技術振興機構で、システム・情報科学技術ユニットのフェローを務める嶋田義皓氏は、現在の量子コンピュータの開発状況について「1950年代のコンピュータのような状況」だと話す。それはなぜなのか。

量子コンピュータの開発状況は「まるで1950年代」

 現在の量子コンピュータが処理できるのは約100量子ビットだ。嶋田氏によると量子コンピュータで因数分解を効率的に計算するためのアルゴリズムである「ショア(Shor)のアルゴリズム」を使い、実用的な計算をするには1万量子ビットから10万量子ビットが必要だという。

 量子ビット数の少ない量子コンピュータでも実用的な計算をするための、有効な量子コンピュータ開発のアプローチの一つに「量子古典ハイブリッドアルゴリズム」がある。これは量子コンピュータにしかできない工程(量子計算)と、古典コンピュータの方が効率よく処理できる工程(計算結果の検証)をそれぞれのコンピュータで実行する計算手法だ。

 現在、各企業や研究機関は量子コンピュータの演算能力が最も実用性を発揮できる研究分野を模索している。IBMは量子コンピュータを使った水素分子のエネルギー状態のシミュレーションの研究を進めている(写真1、2)。IBM東京基礎研究所の小林有里氏は「研究の過程でコンピュータでのエネルギー状態予測値が実測値に近づきつつある。量子コンピュータの計算精度は向上している」と話す。写真1、2 2017年(左)と2018年の研究結果。グラフは水素分子のエネルギー状態を示しており、横軸が原子間距離で縦軸がエネルギー量。白い点は量子コンピュータの予測値で、実線はエネルギー状態の実測値だ。白い点の並び方は、2017年のグラフよりも2018年のグラフの方が実線に近づいていることが分かる《クリックで拡大》

 嶋田氏によると「量子インターネット」の構築や検索アルゴリズムの構築、ビッグデータ処理といった用途で実用化に向けた検証が進んでいる。量子インターネットとは、量子力学に基づいて複数の量子コンピュータを接続し、通信や分散処理を可能にしたネットワークのことだ。量子情報の送受信や、セキュアな通信に活用できる可能性がある。

量子版「ムーアの法則」は実現するのか

 集積回路上のトランジスタの密度が18カ月ごとに倍になり、それに伴いCPUの性能が急激な進化を続ける経験則を「ムーアの法則」と言う。嶋田氏は量子コンピュ―タの分野でムーアの法則を実現するためには「ハードウェアとソフトウェアの進化に加えて『キラーアプリケーション』で収益化を図ることが必要なのではないか」と見解を示す。

 量子コンピュータのキラーアプリケーションが登場し得る分野には、分子レベルの材料設計といった量子化学の用途や機械学習・最適化の用途がある。機械学習については「量子コンピュータの複雑な計算を可能にする能力は、複雑な条件を処理しなければならない高度な機械学習システムのプログラミングに生かせるのではないか」と嶋田氏は考察する。

 嶋田氏は量子コンピュータの課題について、「量子誤り訂正技術」がまだ十分に発達しておらず計算エラーが多い点を挙げる。量子誤り訂正技術とは、量子コンピュータの計算エラーを訂正しながら、計算を続けられるようにする技術のことだ。

 量子コンピュータの実用化は遠い未来の話だと考える人は少なくない。だがIBMの実験が示す通り、その計算精度は着実に向上している。ハードウェアとソフトウェアの進歩と並行して「何に活用できるか」を検証することが、実用化の早道になりそうだ。